違いを解説君

あるゆる物事の"違い"をわかりやすく解説する情報マガジン

その他の違い

教育と洗脳の違いをわかりやすく解説!意味と使い分け方をチェック

『洗脳』といわれると、何をイメージしますか?

恐ろしい。

自分が変わってしまう。

などの良くないイメージがあるのではないでしょうか。

 

でも、教育をうけることでも自分は変わっていきます。

知らないうちに、洗脳をうけているのではないか?

家族や友人が、洗脳をうけているのではないか?

きびしい教育をうけているつもりが、実はそれは洗脳かもしれません。

『教育』と『洗脳』は違います。

でも、何が違うのでしょうか。

何かの影響を受けて自分が変わっていると感じた時、『教育』をうけているのか『洗脳』をうけているのか、見極められるようになりましょう。

スポンサーリンク

教育の意味

教育とは、

社会の中で人間らしく生きていくために必要な能力を身につけていく

ことです。

教育は、人を望ましい状態にするために、その人の能力を引きだそうとします。

そのために、知識を増やし、体験し、技能を身につけさせ、人間性を養っていきます。

 

教育で大切な事は、年齢に応じて心と体の両方に働きかけることです。

生まれたばかりの小さな赤ちゃんは、愛情あるスキンシップを通して生きる力をつけていきます。

そして、安心感や自信を土台にして経験をかさね、さまざまな能力を身につけて成長していくのです。

五感をとぎすまし、自分自身の考えを持ち、視野を広げていくことで、教育の質は高くなります。

 

教育は

自立して生きていくための力をつけることが目的

とされます。

 

洗脳の意味

洗脳とは、

何者かが、人を自分の支配下におくために恐怖や苦痛をあたえて、考え方を変えさせていく

ことです。

 

洗脳で重要なのは、

体と心を傷つけて弱くする

ことです。

その人の持つ主義や思想を変えるため、恐怖や苦痛をあたえていきます。

人は傷つくと不安になり、自信のない状態になってしまいます。

心と体を傷つけ、逆らえない状態にして、限られた情報や考え方を一方的にあたえるのです。

洗脳は、人の能力や意思に関係なく『新たな自己』を植え付けていきます。

 

そして、

洗脳者に依存しなければ生きていけない状態にすること

が目的とされます。

 

教育の語源

『教育』は、『教える』『育てる』という言葉からできています。

もともと、『教える』は『オシム(愛しむ)』、『育てる』は『スダツ(巣立つ)』が、語源になっているといわれています。

愛情をもって、ひとり立ちできるように支える

という意味がもとになっているのです。

 

『教育』という言葉は、近代日本で

英語の『education(エデュケーション)』の和訳

としてあてられました。

『education(エデュケーション)』の語源は、ラテン語の『educare(エドゥカーレ)』といわれています。

『educare(エドゥカーレ)』の一般的な意味は『外に引く』ですが、『動物、植物を養い育てる』という意味もあります。

家畜をおいしい草の生えている牧草地に連れて行って、お腹をいっぱいにさせること

が、教育の語源になっているのです。

つまり、教育とは

生きるために必要なもので満たす

ことなのです。

 

洗脳の語源

『洗脳』は、英語の『brainwashing(ブレインウォッシング)』の和訳です。

『ブレインウォッシング』は、

アメリカのマスコミが中国の共産主義社会を批判する言葉

として使ったことが最初とされます。

当時の中国では、知識人たちに、その人の主義や思想を根本的に変えさせようと思想改造がすすめられていました。

共産主義社会を実現させるための手段として、投獄などの政府による暴力が見せしめとしてされました。

共産主義社会をおびやかす考え方や思想を持つ人たちは消されていったのです。

 

このことから、

暴力などにより無理やり相手の心を支配すること

を、『洗脳』というようになりました。

 

『洗脳』と同じように使われる言葉に、マイナスの意味での『マインドコントロール』があります。

『マインドコントロール』では、本人が恐怖や苦痛を感じる事はありません。

巧みな言葉や情によってあたかも自分から望んだかのように心が変わっていくのが『マインドコントロール』です。

『洗脳』では、本人の意思は関係なく、あきらかな暴力による恐怖や苦痛によって自己が変えられてしまうのです。

 

教育と洗脳の使い分け方

教育と洗脳を使い分ける決定的なポイントは、

暴力が手段にされるかどうか

です。

 

教育は、『家庭教育』『学校教育』『社会教育』など、様々なものがあります。

いずれも、それぞれの居場所で、

自信をもって生きていくために必要な力

を身につけていくのです。

しかし、教育の場でも暴力が手段にされることがあります。

家庭教育での『虐待』や学校教育での『体罰』です。

家庭での教育は、『子育て』ともよばれますが、恐怖や苦痛を与える事ではありません。

愛情をもって世話をし、生きるために心や体に必要な栄養を、年齢や性格に合わせて、あたえていくのです。

叩いたり、怒鳴ったりする子育ては、教育ではなく、『虐待』になってしまいます。

学校での教育も、教師による暴力や暴言などの恐怖や苦痛をあたえるものではありません。

学校教育は、教師と生徒の信頼関係をもとに、生きていくために必要な能力をのばしていくことです。

もし、教師が『体罰』によって生徒を服従させようとしているなら、教育は成り立ちません。

教育は上から下へ、権力的にあたえられるものではないのです。

信頼関係や愛情関係のなかで、成長や発達していくために必要なものとしてあたえられるものなのです。

 

『洗脳』で手段とされた暴力の具体的な例をあげます。

オウム真理教

信者は電極付きのヘッドギアを被らされ、電流を流されていました。

これを『修行』として、日常的にうけていました。

 

ホームオブハート

信者の子どもは、セミナー施設に入れられ、教育としながら痛めつけられました。

 

洗脳では、相手を自分の支配におくために、暴力が使われるのです。

暴力には、暴言や、家族への暴力による精神的苦痛も含まれます。

そして、その恐怖や苦痛から逃れるために、相手に絶対服従してしまうのです。

スポンサーリンク

まとめ

教育とは

社会の中で、人間らしく生きていくために必要な能力を身につけていくこと。

自立して生きていくための力をつけることが目的。

 

洗脳とは

何者かが、人を自分の支配下におくために恐怖や苦痛をあたえて考え方を変えさせていくこと。

洗脳者に依存しなければ生きていけない状態にすることが目的。

 

どちらも

心と体の両面に働きかけ、人をかえていく

のです。

教育は良い方へ、洗脳は悪い方へと変えていくのです。

愛情に根ざした教育によって、人は成長し、社会をより良く変えていくことができます。

恐怖によって洗脳され、『新たな自己』を植え付けられた人は、人や社会を破滅させる行動をとってしまうことがあります。

 

『愛は恐怖より強い』

といいます。

『洗脳』に支配されてしまわないように、愛ある『教育』の中で成長し、生きる力をつけたいものですね。

関連記事

-その他の違い

Copyright© 違いを解説君 , 2020 All Rights Reserved.